社会的スキルとしての悟り

この世のゴタゴタのうちのある程度のものは、俗的な見地から見ても、悟りを開くことで解決できると思う。妙にイラつくような物言いをされても、悟ってれば関係ないし、むしろその方が精神衛生上もいいはず。
キリスト教系(本家のユダヤとか、あとはイスラームもか?)を極めると全知全能の神に少し近づけるらしいけど、正直「全知全能」には「悟り」ほどの魅力は感じないなあ。逆に、俺は分かってるのに周りがキチンと動いてくれなくてイライラするってことが多そう。そう考えるとヤハウェさんは我慢強いなあ。
その点、悟ってしまえばそんな事は関係なくなるのだから、悟りってのは現代を生きぬく上で有用なスキルなんじゃないのか。あ、でも悟りに行き着くと、仕事とかそういう俗世間的なものに対してまで悟ってしまうから、悟りすぎには注意だな。なんか、仏門に入ったり、修行したりしなくても気軽に悟りに近づけたらいいと思う。
悟りって曖昧に書いてるけど、厳密な悟りってモノがなんなのかってなると、仏教に深入りしなくちゃいけなくなるからパス。おおらかな人間くらいのレベルの悟り方で、社会的スキルとしては十分でしょう。


まあ、なんでこんなしょうもないことを書いてるかっていうと、始まりは政治思想の授業で旧約聖書の内容に触れたときに、ヤハウェさんが大変だなあと思ったから。イスラエル人の行動が人間的で罪深すぎて、もはや可愛いと思ったから。そんな話を友達にしてたら、もうなんか呆れた顔をされたり苦笑されたり。うん、ちょっとどうかしてきてると思うけど、ちゃんとその辺もわかってるんで、大丈夫。